ももいろどけいの日記

アラサー女子のブログです。

プロ野球ドラフト会議2015ルール!抽選や順番、ウェーバー制、入団拒否など

今さら聞けないドラフト会議。抽選や指名って?

今年の甲子園の決勝戦。東海大相模vs仙台育英は9回までどちらが勝つか分からないという、すごくいい試合でした。甲子園全体を通してもスター選手が多数。そしてU-18のW杯も善戦が多く準優勝でしたし、例年以上の加熱ぶりとなるのではないでしょうか。ドラフト会議。ところでドラフト会議って、どうやって選手を獲得しているのでしょうか。

小学生の頃、とある甲子園で大活躍した選手が希望の球団に行けなくて、その球団も彼にぜひ来て欲しいと思っていたのにくじで外れてしまいウルトラ残念がっていて、せっかく本人も球団も希望していたのにどうしてこんなことが起こるんだと子どもながらに憤慨したものでした。

ヽ( )`ε´( )ノ ブーブー!!

 

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でも、なぜ抽選になったのかはよく分かってなかったんですよね。

30代になってまたブーブー言ったって痛いだけだし、今年は心穏やかにドラフトを見守るためにも、ドラフト会議のことを調べてみました。

 

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1巡目は抽選あり

ドラフトでの選手の獲得は大きく分けて、1巡目の『入札抽選』、そして2巡目以降の『ウェーバー制』に分かれます。

 

1巡目、すなわち球団が1番はじめに獲得する選手ですが、全球団が希望の選手を同時に提出します。指名が重複したら抽選です。抽選を引き当てた球団が選手を獲得。そして外れてしまった球団はまた別の選手を指名。また被ったら抽選です。これを繰り返して、全球団が決まるまで続けられます。

 

現在、メジャーで活躍中の田中将大選手。2006年のドラフトでは楽天・オリックス・日本ハム・横浜の4球団が彼を指名しました。そして抽選で当たりとなった楽天に入団することになったのです。他の3球団はその後、別の選手を獲得しました。

 

2巡目以降は、順番に1人ずつ指名していく

2巡目以降はウェーバー制という方法でやっていきます。まず、2014年の例で説明します。

2巡目は、その年の公式戦の順位が最下位だった球団から選手を1人ずつ指名してきます。まず、セ・リーグ最下位だったヤクルトが1番目、パ・リーグ最下位だった楽天が2番目、セ・リーグ5位だったDeNAが3番目…と選手を指名してきます。

各リーグの順位は、クライマックスシリーズ(上位3チームの試合。ここで1位になったセとパの球団が日本シリーズで日本一を争う)の結果は考慮していません。また、なぜセ・リーグが先かというのは、2014年のドラフトのルールでは、オールスター・ゲームの結果がよかった方でということになっていたからです。2014年のオールスター・ゲーム第1戦はセ7-0パ、第2戦はセ6-12パ。どちらも1勝1敗ですが、得失点差でセ・リーグとなりました。

 

3巡目は、2巡目の逆。2014年であればパ・リーグで1位だったソフトバンクから指名していきました。4巡目は3巡目の逆、すなわち2巡目と同じ。

 

これを繰り返し、全球団が選択終了となるか、選択された選手が120人になるかでドラフト終了です。原則として1つの球団が獲得できる選手は10人までですが、他の球団が10人未満で120人に達していなければ11人以上も可能です。

実際のところはここ最近は70人前後っていうことが多く、各球団の獲得人数も10人以上もあるけど、せいぜい7,8人といったところ。4人とかいうことも珍しくないです。

 

各球団の担当者はドラフトのために戦略をあれこれ考えてきます。1巡目の指名は彼だけど、重複して抽選で当たったら2巡目はこの人にしよう、というように。どの球団も注目しているような選手をいかに獲得するか、もしくはあえて選択しないのかというのももちろん重要ですが、逸材を見つけ出すのもスカウトの腕の見せどころ。1991年のドラフト会議ではイチローはオリックスから4位指名でした。甲子園に出場していたのでどの球団のスカウト担当者もイチローを見ていたのですが、当時はピッチャー。ピッチャーとしてではなく、バッターとしての能力を見抜いたのがオリックスだったのです。

 

2015年のウェーバー順は?

上記は2014年の場合ですが、2015年はセ・パがどちらが先というのが変わるみたいです。交流戦の結果となるようです。

セ・パの先後についての制度は、2015年から、交流戦で勝ち星の多かったリーグが先という順になります。その年の交流戦でより多くの勝ち星を得たリーグの6位チームが一番最初に指名し、勝ち星が少なかったリーグの6位、多かったリーグの5位、と順番に指名していくやり方です。

 

プロ野球ドラフトのウェーバー制、セ・パの順番はどうやって決めるべき? - 言わせろ!ナンバー - Number Web - スポーツ総合雑誌ナンバー公式サイト

 

交流戦(セ・パ交流戦)とは、たとえばソフトバンクはパ・リーグだから、セ・リーグの6チームと3試合ずつ、計18試合を行います。5月26日~ 6月14日の日程で行われました。

2015年の交流戦の結果は、セ44勝・ 61勝パ(3引き分け)。パ・リーグが先ですね。

 

順位は、

セ・リーグ

1位:ヤクルト

2位:巨人

3位:阪神

4位:広島

5位:中日

6位:DeNA

 

パ・リーグ

1位:ソフトバンク

2位:日本ハム

3位:ロッテ

4位:西武

5位:オリックス

6位:楽天

 

なので、

 

2巡目(偶数巡目)

①楽天→②DeNA→③オリックス→④中日→⑤西武→⑥広島→⑦ロッテ→⑧阪神→⑨日本ハム→⑩巨人→⑪ソフトバンク→⑫ヤクルト

 

3巡目(奇数巡目)

①ヤクルト→②ソフトバンク→③巨人→④日本ハム→⑤阪神→⑥ロッテ→⑦広島→⑧西武→⑨中日→⑩オリックス→⑪DeNA→⑫楽天

 

です。

 

そもそもなぜドラフトがあるの?

ドラフトがはじまったのは1965年。2014年でドラフト50周年でした。

 ドラフト制度は、「契約金の高騰防止」「12球団の戦力の均衡化」を2本柱に始まりました。

 しかし本人の意思とは無関係に、入団チームを公平にクジ引きで決めるドラフト(新人選手選択)会議は、一方で、悲喜こもごもの人間ドラマを生んできました。

 

 「職業選択の自由」ということを考えれば、なぜ好きな「会社」に行けないのかとなります。

「プロ野球株式会社に就職する」と考えれば、「希望部署」に行けなくても納得して就職すべきということになります。その不公平感を緩和するために「FA制度」や、「ドラフト自由枠(希望枠)」が加わったのです。


ドラフト50年の物語~クジに左右された「光と陰の野球人生」~ 竹書房出版

 

ん~、確かに、とある球団がずば抜けて強かったらプロ野球が盛り上がらなくなってしまいますし、新人選手達も強い球団に行きたがるだろうから差はますます広がっちゃいそうです。そういった意味では理解できますが、でもやっぱり、選手がかわいそうだなっていう気もします。

 

1985年のドラフト会議。俗に言う『KK事件』。当時PL学園の4番バッターの清原選手は王監督を慕って巨人入りを熱望。が、1位指名されず、なんと早稲田大学に進学を表明していた同じPL学園でエース投手の桑田選手を指名しました。結局、桑田選手は巨人入り。清原選手はそのほかの6球団が指名し、抽選で引き当てた西武に入ることとなります。そんな清原選手談。

 ドラフト制度の改善は難しい問題です。

 逆指名は、メジャーのように30チームもあれば有望選手はある程度ばらけると思うけど、日本は12チームだけだから特定球団に集中する恐れがある。

(中略)

とはいえ、クジ引きで決められる人生は、やっぱりツラいですよ。たった紙切れ1枚で…


ドラフト50年の物語~クジに左右された「光と陰の野球人生」~ 竹書房出版

 

野球を志して苦しい練習を乗り越えて、そして待ちに待った念願のプロ入り。その運命がクジ引きで決まるというのは何とも無情な気もします。

とはいえドラフト会議も改善の努力がなされています。おおかた今のような形となったのは2008年です。1965年の第1回のドラフトはウェーバー制にアレンジを加えたようなものでした。12球団がそれぞれ獲得希望選手30人リストを提出し、1番が重複しなければ確定、重複したら抽選で、外れたら繰り上げという形式です。またここ十数年でも「高校生」枠と「大学生・社会人ほか」枠があったり、「逆指名」があったりと、いろいろやってみては撤廃してが繰り返されています。

 

ちなみに、大リーグでもルールや規模が違うもののドラフトはあります。一方、Jリーグにはドラフト制度のようなものはありません。Jリーグに選手が加入するのは「1年中」。なんと!意外!!!

 Jリーグには2種類の入口がある。一つはアカデミー(下部組織)からの昇格だ。U-18チームで育てた選手は、そのクラブに契約の優先権がある。もう一つは外部からの新卒採用だ。Jを志望する選手は、試験や公式戦がない期間を利用し、各クラブの練習に参加することが多い。“インターンシップ”で適性やお互いの相性を確認したのち、プロ入りが決まっていく。

 

ドラフト会議のないJリーグ…新人獲得におけるプロ野球との違いとは | サッカーキング

 

ドラフトの目的の柱である「契約金高騰の防止」については、Jリーグは独身選手は380万円以下と決まっています。また「戦力の均衡化」についても、直近10年で優勝したチームは7チームです(2013年時点)。むしろビックチームの不在がJリーグの課題だとか。プロ野球とJリーグでは歴史や事情がいろいろと違う。プロ野球だからこそドラフト制度が必要なようです。

 

入団拒否をする例も

クジ引きで決まるとはいえ、入団を拒否することもできます。一般企業でも内定辞退できますもんね。ただ、2社とか3社の内定もらったらから本命以外を辞退するのと違って、ドラフトは内定が1つしかないのがツラいところです。

過去にも1位指名を辞退した選手はいますが、その後プロに入れなかったり、入れたとしても期待ほどではなかったりということが多いようです。

そして第9回ドラフト会議(1973年11月20日)ではドラフト史に残る拒否選手が誕生します。言うまでも無く元巨人の江川卓投手です。初めての1位指名は阪急から受けましたがこれを拒否し進学、第13回ではクラウンから指名も拒否し南カリフォルニア大へ野球留学し、第14回ドラフト会議にてようやく阪神と契約をします。この間で実に5年間もの回り道を余儀なくされます。江川投手の通算成績は266試合135勝72敗、防御率3.02。この5年間がなければ65勝を上積みし、200勝投手になっていたかもしれません。

 

寺原投手の入団は正解!? 1位指名を拒否した選手達 [プロ野球] All About 

 

先の清原選手も、「どうしても意中の球団に行きたい」と固執して野球浪人するのはあまり賛成ではないとコメントしています。どの選択が正解かというわけではありませんが、人生においてなにかの教訓になりそうですね。もっとも清原選手自身は、「もう行くよ、西武行くよ」と勢いでその日のうちに決めてしまったそうですが。

 

逆指名や自由枠制度、FAって?

さてさて、先ほどから出てきている「逆指名」や「自由枠」という言葉。これらはどういうものなんでしょうか?

 

「逆指名」は1993年に導入されたものです。

 この年から社会人・大学選手に限り、1位・2位指名選手に球団選択の自由を認める、いわゆる「逆指名権」が与えられた。選手からの逆指名を勝ち取るために契約金は高騰し、1億円を超える金額の選手が続出した。


ドラフト50年の物語~クジに左右された「光と陰の野球人生」~ 竹書房出版

 

この逆指名が2001年に「自由枠」となりました。ドラフト会議が開催される前に、2選手(高校生除く)と契約を締結できちゃう制度です。実質的には逆指名とあまり変わりがなかったようですが。2005年に「希望枠」と名前が変わり、2選手から1選手になります。

しかしながら、逆指名、自由枠、希望枠と続いてきたこの制度は2007年に金銭問題で廃止されました。

 

なお、2005~2007年は、「高校生」「大学生・社会人ほか」で別日にドラフトが開催されていました。高校生は9月や10月、ほかは11月。高校生の進路選択に配慮してのことです。ですが2008年から元に戻って一緒になりました。そして開催日は前年までの間をとって10月下旬、日本シリーズ開幕2日前の木曜日ということに。ルールも1巡目は抽選、2巡目以降はウェーバー制という分かりやすいものになりました。先にも書きましたが、今のようなドラフトのルールになったのは2008年からです。

 

また、ドラフトは新人選手を獲得するためのものですが、「FA(フリーエージェント)」制度は選手の移籍の制度です。超ざっくりいうと、一軍選手だった試合数が通算して8年分以上(例外で7年の場合もあり)になると、行きたい球団にお願いしますと交渉できます。が、必ずしもその球団がYou来ちゃいなよと言ってくれるわけではありません。さらに、FAの権利を取得できる平均期間は11年、平均年齢32歳。一方、一軍選手の平均選手寿命は9年で平均引退年齢29歳と、必ずしも選手の希望が叶いやすい制度ではないようです。難しいですね。

 

生まれ変わったら、必ず…

「今年のドラフトではどんなドラマがあるのか!?」というセリフをよく見かけますが、こうやってドラフト会議のルールや歴史を見てみると、1965年に手探りで始まってから年々姿を変えていき、紆余曲折して、ドラフト会議そのものが半世紀にもわたる壮大なドラマだなと思いました。

1985年のドラフト会議から、西武、巨人、そしてオリックスと野球をしてきた清原選手は、2008年に引退しました。

08年オリックスでの引退試合。奇しくも相手はソフトバンク監督(95年~08年)だった王さん。形式的な花束贈呈かなと思ったら、わざわざ僕の目をしっかり見すえて言ってくれたんです。

 「生まれ変わったら、必ず一緒のチームで、ホームラン競争しような!」

 気にかけてくれていたんですね。あの言葉でもう、一瞬にしてもう…、長年のわだかまりが消えたんです。

 

ドラフト50年の物語~クジに左右された「光と陰の野球人生」~ 竹書房出版

 

KK事件のドラフト会議から実に20年以上…

事実は小説よりも奇なりとはまさにこういうことだなと思いました。それでもやはり、人生のすべてを野球に懸けてきた選手達が夢や希望を持ってプロ野球入りできるようなドラフト会議になって欲しいと願っています。

 

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関連記事:

momo-tokei.hatenablog.com


参考文献:

ドラフト50年の物語 クジに左右された「光と陰の野球人生」|書籍|竹書房 -TAKESHOBO-

 

参考:

2015年 新人選手選択会議 選択手順

高校ドラフト : nikkansports.com

<イチロー、運命のオリックス入団> ドラフト秘話 「本当は1位指名もあった」 - プロ野球 - Number Web - スポーツ総合雑誌ナンバー公式サイト

日本生命セ・パ交流戦

プロ野球 - 順位 - スポーツナビ

日本のドラフトの参考になる? 下克上が可能なメジャーリーグのドラフト制度 | Full-count | フルカウント ―野球・MLBの総合コラムサイト―

日本プロ野球選手会 公式ホームページ